「来る日も来る日、中央林間で」
六月号に『1Q84』その1を書いてから、長い時がたった。同人の白石のすすめで、自らが書いた文章を読み直していくうちに、もう一度、この作品と向き合いたいという気持ちが募ったので、書きたいと思う。正直に言って、どこに向かっているのか、どこにたどり着くのか、見当もつかない、謎めいた問題を孕んでいるように思っている。
振り返ってみると、純文学とほとんど縁がなかった中学生の頃に読んだ、数少ない作品の一つだ。今読んでも、謎めいた所があるのだから、中学生の自分が、小説をしっかり噛み砕いて体内に取り入れたとは思わない。しかし、それでも、読者を夢中にさせて物語に引き込んでゆく力が、この物語には、たしかにあった。没頭していた感覚だけは、はっきりと覚えている。
この不思議な力について考えてみたい気持ちもあるが、まずこの作品をとりあげるにあたり、自分はある個人的な体験の前に立ち止まらないわけにはいかない。
『1Q84』は東京が舞台になっている。が、作品の舞台となった各々の場所は、交換可能な場所で、究極、どこが描かれていても小説の中身は変わらないように思われる。それはバルザックの小説のように、パリそのものを描く、といった趣旨をもってはいない。どこが舞台だろうが、この小説を読む意味合いのようなものは、何一つ減じることはない。にもかかわらず、ぼくにとって、この作品の舞台となった場所は大きな意味をもっている。小説のかみさまが、偶然、選んだ土地に、感謝する。
物語冒頭、1984年が1Q84年の世界へと移り変わってしまう土地。それは首都高の非常口から246号線、三軒茶屋駅近くへと降りる非常用の階段だ。正確には、三軒茶屋より少し西の方。246号線は、ぼくが10代を過ごした街を縁取る大切な道であり、あの首都高の降ろした暗さは、心の風景のどこかに、どっしりと腰をおろしている。それに、三茶付近の非常用階段は、大学生時代、毎日、横目に見ながら通っていた。青豆が行く予定だった、渋谷のホテルの方まで。
物語途中、青豆が天吾を見つける場所。高円寺の児童公園。ぼくは高円寺という街にはさほど縁がない。この人生で指で数えるほどしか降り立ったことはない。たった一度、人生のなかで大切な経験を高円寺の街でしたことがあり、それは高円寺の児童公園でのことだった。
この二つで、もう僕にとってこの本は、誰が何と言おうが、かけがえのない本なのだと思った。あとは、デザートのようなものかもしれない。
青豆が、深田と契約を交わす大切な場所。物語の三つ目の聖地といってよいこの場所には、ホテル・オークラが選ばれている。人生での節目、記念日に、祖父母に連れて行ってもらった、大切なホテル。このホテル以外、逆に超有名ホテルなどというものには縁がまったくない。
老婦人の住む邸。麻布の台地。中高時代に通った。青豆が使う駅、広尾はいうまでもなく。
青豆の住んでいたマンションのある土地。自由が丘。中学以来のともだちと、話すたびに、あてどなく歩き回った街。現在進行形。
青豆と天吾の小学校がある、市川だけが、ほとんど自分と関係ないが、シンフォニックエッセイを通じて、習志野エリアが、はっきりと自分の中で大切になってきた感じがある。
場所ではないが、小説の中で、天吾が読んでいた本のなかに、イサク・ディーネセン『アフリカの日々』がある。ぼくはこの本を友人に教えてもらい、結果大好きな本となったが、『1Q84』に登場することなど忘れていた。
小説の第三の主人公、牛河。牛河の失脚前、家族がいたころの、彼の思い出の土地、中央林間。(街の描写はいっさいないのに、繰り返し登場し、牛河の魂の話の回まで登場した地名。そんなこと、すっかり忘れていた。)ぼくは、ある事情により、この一ヶ月、一人暮らしの住居から一時撤退を余儀なくされ、実家に帰っていた。生活圏が一時的に変わっていた。長い電車の通勤時間。仕事から帰るとき、どんなに遅くなっても途中駅で下車し、『1Q84』を読むことを、毎日の楽しみにしていた。喫茶店での贅沢な時間を楽しみにして。牛河の登場、『1Q84』book2からbook3も、その喫茶店で、ほぼ全て読んでいる。牛河からその土地の名前が発せられた時、息が詰まりそうになった。そう、ぼくは中央林間の喫茶店で、来る日も来る日も、この本を、毎日むさぼるようにして読んでいた、、、。